邪
夢はみるもんじゃない、叶えるものだ
とはよく言ったもので、夢を掴み取った勝者たちがよく口にする。
夢に敗れたものたちはこの言葉をどう思うのだろう。
そもそも、その夢に他者が介入しない場合に限ったものだと思う。
例えば「菅田将暉と結婚したい」というのも立派な夢だが、菅田将暉の意思も関係してくるので、9割9分9厘は夢みたままで終わる。
でも、じゃあ「菅田将暉を一目見たい」はどうだろう?
こうなると一気に現実味を帯びる。
菅田将暉の意思は関係ないから。ドラマの撮影現場に行くなり、イベントに行くなりすればこっちの行動のみで完結する。
ならば「菅田将暉に会いたい」なら?
現実味はなくはない。
菅田将暉に嫌われており「会いたくない」と思われてない限り、こちらからのアプローチでどうにかなる。
例で菅田将暉を挙げたけど、わたしが会いたいのは彼ではない。
いや厳密に言えばできることなら彼にも会いたい帝一の國は3回観ました最高でしたありがとうございます。
憧れの人に会うことは実現不可能ではないことが、文系のわたしの理論上で証明された(多分)。
問題は方法だ。
※ここでいう「会う」は、相手もわたしもお互いを認識し、言葉を交わすことと定義付けする。
なんか、、うん、頑張るしかないかなって…笑
どうにかこうやって世間に発信してたらどうにかなるかなって…
そんな邪な思いで始めるブログ。。
テーマは??